世界の法則
考えてみたんですけど、過去、現在、未来とは、ある法則で動いている世界での出来事に過ぎないんじゃないかと思うんです。抽象的で分かりづらいと思うのですが、「この世のことはこの世で解決できる」という格言があって、それは私の伯母の言葉なのですが、「そっかぁ、ある法則でこの世は成り立っているに過ぎないんだなぁ」とつくづく思ったわけで。。。なぜかというと、私は未来人がタイムマシンを完成させて、時間を止めて正しい方向に修正したりしているんじゃないかという、とんでもない妄想を抱いています。だから、私が生まれたのも神様が授けてくださったありがたい命なんだという、感謝の気持ちも現れるわけで。。。例え、私が一生一人で過ごすとすれば、寂しい限りで、しかし私に弟妹というキョウダイを授けてくださったことも感謝しなければなるまい。兄弟のいない一人っ子に比べると恵まれているほうだ。私は、兄弟のいない一人っ子は、結婚して子供を作るべきだと思う。将来、やはり孤独になるということは、とてつもない寂しさと憂鬱な感じがするからです。しかし、将来、一人っ子であっても寂しい思いをすることなく、過ごすことができる方法がいくつか存在する。福祉が充実してくると、そのような問題も解消していくだろうという楽観的な見方だ。遠い銀河系では、鏡の中の世界がある。この世とそっくりの世界が遠い銀河系だ。そこはこの世で死んだ魂が行くところで、いわゆるあの世であるという。宇宙には、地球を含む太陽系のようなものがいくつも存在し、人間一人ひとりの一番幸せな世界が存在するという。この世で苦しんで死んでも、あの世では極楽が存在する。それが浄土真宗の教えだと思う。人間が死んだら、この世のものに、あるメッセージを与えてくれるのだ。それは真理であり、真実であるように思う。
この世は、ある法則で動いている。というか、ある法則によって動かされているんだと思う。その法則というのが、はっきりと分かるのはタイムマシンが出来た時だ。過去はもう永遠に戻らない。しかし、タイムマシンによって改善された過去は存在する。死は変えられないが、現在、今、生きている人が過去に失敗したことなどが全て白紙に戻って、現在に至っていると考えれば、過去に用意してきた大切なことが後に残るすばらしい世界が今なんだと思ってしまえば、将来の夢も現実を帯びてくる。永く時間がかかってでも、夢は実現するというイメージを思い浮かべれば、究極のプラス思考によって突き動かされる私が過去に存在していたのかもしれない。しかし、今の病気を妄想でもって証明されている限り、私は究極のプラス思考は、ただの誇大妄想としてしかないのだ。悲しいことだが。。。
今日のところはこの辺で、また書けるようになったら、私の世界観を熱く語りたい。
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